顛末記

最初に本震が起こったとき、実はカウチベッドに寝転がっていた。揺れが激しくなるとともに、飾っていたガンプラゾイド、ねんぷちが倒れ始めた。「高くて不安定なもの」が崩れるとみて、足元のほうにあった本の塔を崩したら、次の瞬間には頭を置いていたところの近くに横に重ねて置いたカラーボックスが滑り込んで来た…それで揺れは納まった。
(執筆中)

テレビをつけ、ツイッターでも状況を把握したあと、祖母の様子を見に行くと、なんとか無事だったようだ。
程なくして、伯母が到着、彼女の家では水道も電気も止まったという。教員をしている両親からは教え子の安全が確保されるまで帰れないという。
その後、食料調達に出掛けたが、自宅から一番近い繁華街は停電により真っ暗(この時点で宵の口だったのだ)という有様。南下していき、籍を置く街まで来ると明かりが煌々としていた。ここでもスーパーはやってなく、コンビニにたどり着くと長蛇の列の上、弁当やパンがすでに消えていた。



どうにか幹線から離れたコンビニで食料を調達し帰宅。買えたのは僅かながら残っていた冷凍食品とインスタントワンタンスープだった。電気が使える以上、その範囲内で調理できるものを選んだつもりである。
やがて、母、父の順で帰宅、夕食時には家の中の片付けを済ませた伯父も来た。実は伯母夫婦には娘が二人おり、うち一人は仙台在住であり心配(とりあえずこの時点で連絡はついている)とのこと…、また伯母の家で飼っていた犬が地震の来る直前にショック死したこと…気になることが次から次へ出てきた。
やがて伯母夫婦は帰宅。



とりあえず離れで寝ることを諦め、母屋で寝ることに。しかし、鉄筋コンクリ築30年の母屋でも、横になっても寝られない…それはあたかもこんにゃく(あるいはゼリー)の上に寝かし付けられて、なおかつそのゼリーが動かされ続けるような感触…
車に布団を持ち込んで寝ることも考えたが、そもそもサスペンションがある以上、結果は同じであった…結局、ツイッターを見たりして眠れない一夜を過ごした…